1人、また1人と、俺の元から去っていった人がいる。
俺の精神が「負」のときに、ひどい言葉の数々を吐いてしまい、傷つけてしまった人。
謝罪のメッセージは送ったが、彼女の返事は、1言もなかった。
俺は、俺が犯した「罪」を、これから背負っていかなければいけない。
一体、どれだけの罪を犯し、背負わなければいけないのだろうか。
自分の性格や病状を憎み、自己愛など微塵も感じることもできない。
人は、生まれたときは誰もが「独り」。
それが、成長していくにつれ、徐所に人を「信頼」することを覚え、「仲間」を増やし、そして「愛」などの感情を生み出す人格を形成する。
今の俺には、それらが欠損していることを知っている。
それは、俺がまだ幼いころから感じていた「疎外感」で、証明できる。
「疎外感」
それは、常に感じていること。
友人と一緒に遊んでいるときでさえも、孤独を感じる。
独り部屋にこもっているときでさえ、感じる。
今生きている世界自体に対しての距離も、俺は感じ取ってしまう。
なぜ、こんな人格を背負って生まれてきたのだろうか。
前世で犯した罪を、今償えとでも言うのだろうか。
自分の心の置き場、そして、自分の精神の把握ができない。
俗に言う「居場所がない」といった感じだろうか。
全ての物事に対して「楽しさ」を感じることを、忘れてしまった。
典型的な「うつ病」の症状。
テレビで流れるバラエティ番組の「笑い声」でさえ、不快に感じる。
ここ3ヶ月、1度もテレビをつけていない気がする。
たまたま流れている「ニュース」でさえ、悲しい事件ばかりを報道する。
それに対し、俺は人間の「醜さ」を感じ、不快な気持ちになる。
人は、それらを見下したように「同情」し、自分はそんなことはないと、否定する。
人間は、人の上に立ちたがる生き物。
それを知ってから、俺の「人間不信」が始まっていった。
そういったものを、俺の精神世界が崩れていく音を、音楽に、詞に変え、表現していく。
とある人が言っていた。
「私にとって音楽は、「楽」じゃなく、「苦」だ。だから、私は「音苦」をやっているんだ」
今は、俺は「音苦」をやっているのかもしれない。
俺の精神が「負」のときに、ひどい言葉の数々を吐いてしまい、傷つけてしまった人。
謝罪のメッセージは送ったが、彼女の返事は、1言もなかった。
俺は、俺が犯した「罪」を、これから背負っていかなければいけない。
一体、どれだけの罪を犯し、背負わなければいけないのだろうか。
自分の性格や病状を憎み、自己愛など微塵も感じることもできない。
人は、生まれたときは誰もが「独り」。
それが、成長していくにつれ、徐所に人を「信頼」することを覚え、「仲間」を増やし、そして「愛」などの感情を生み出す人格を形成する。
今の俺には、それらが欠損していることを知っている。
それは、俺がまだ幼いころから感じていた「疎外感」で、証明できる。
「疎外感」
それは、常に感じていること。
友人と一緒に遊んでいるときでさえも、孤独を感じる。
独り部屋にこもっているときでさえ、感じる。
今生きている世界自体に対しての距離も、俺は感じ取ってしまう。
なぜ、こんな人格を背負って生まれてきたのだろうか。
前世で犯した罪を、今償えとでも言うのだろうか。
自分の心の置き場、そして、自分の精神の把握ができない。
俗に言う「居場所がない」といった感じだろうか。
全ての物事に対して「楽しさ」を感じることを、忘れてしまった。
典型的な「うつ病」の症状。
テレビで流れるバラエティ番組の「笑い声」でさえ、不快に感じる。
ここ3ヶ月、1度もテレビをつけていない気がする。
たまたま流れている「ニュース」でさえ、悲しい事件ばかりを報道する。
それに対し、俺は人間の「醜さ」を感じ、不快な気持ちになる。
人は、それらを見下したように「同情」し、自分はそんなことはないと、否定する。
人間は、人の上に立ちたがる生き物。
それを知ってから、俺の「人間不信」が始まっていった。
そういったものを、俺の精神世界が崩れていく音を、音楽に、詞に変え、表現していく。
とある人が言っていた。
「私にとって音楽は、「楽」じゃなく、「苦」だ。だから、私は「音苦」をやっているんだ」
今は、俺は「音苦」をやっているのかもしれない。
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