「おい、ヒゲ剃れよ」

一体この言葉を何回聞いただろうか。
その言葉は店長や上司にもよく言われる言葉。
ヒゲが大好きな僕にとっては、今の仕事場は働きづらい職場である。
なぜ、僕はこの職場にいるんだろう。

「ほかの仕事探せばいいだろ」 遥か彼方から聞こえてくる、もう一人の僕の囁き。

「そう思うんだけど、家から近いしな」 遥か彼方から聞こえてくる、もう一人の僕の思考。

[もう一人の僕]は、とても強靭なる精神を持ち、僕を甘やかしてはくれない。
[もう一人の僕]は、とても弱気で、だらしのない人格を持つ。

その境界線の節目で、僕の気持ちは震え始めた。

「いっそのこと、死んでしまえば楽になるのにな」 僕の脳裏にはこの言葉が張り付いて取れない。

死んだら、僕はどの世界に行くのだろう。



華麗なる華が舞い散る花園に、僕は大の字で倒れこみ空を見上げた。
白く光を浴びた蝶が、太陽の射光を受けながら僕の目の前を横切る。
その蝶は、近くの小川にたたずむ草木にとまった。
蝶は一向に光を放ったまま、僕を誘い招くかのようにヒラヒラと羽根を動かしている。
軽い腰を上げ、僕は小川を眺めた。
水は聖なる光を放ちながら、ゆっくりと、僕の心臓と同調するかのように流れていた。

小川の近くにたたずんでいる大木に、一人の中年の男性が腰を下ろして座っていた。
眼光は穏やかで、無精ヒゲを擦りながらとても温かみのある笑みを浮かべて、マイルドセブンを1本吸っていた。
煙は宙に漂い、その煙は真っ白な雲となり、空へと昇っていく。

「まだ、この小川を渡ってはいけないよ」 眼光は穏やかのまま、僕を優しく見つめながら、その男性は言った。

「なんでですか?」僕は言った。

「君にはまだこの川を渡る資格を持っていないんだ」

「資格?資格とはなんですか?」

「君にはまだやることがありすぎる。こっちにはやりたくてもできないことがたくさんあるんだ。
この小川のように、君は常に流れていなくちゃいけない」

小川が急に激しく流れ始めた。
それと共に僕の心臓は鼓動を早めていた。

「僕がそっちに行く方法はないんですね?」僕は半ば諦めながらつぶやいた。

「この小川のように、時には早く、時にはゆっくり常に動いていなければいけない。
止まることはないんだ。この小川は止まることもないし、止めてはいけないんだよ」

中年の男性は立ち上がり、僕にマイルドセブンを放り投げた。
「すいませんが、僕はマルボロしか吸わないんです」

「リラックスできるんなら、それが君の生きるリズムなんだろう。自分だけのリズムを見つけるんだ」
そう言うと、奇妙な微笑みを浮かべながら霧が晴れ渡るかのように消えていった。


もし僕が死んだら、僕の中に流れる小川はどうなるのだろうか。
今日も明日も 仕事 音楽

一息つけるこの時間からは
孤独と悲壮の世界

鳴らない携帯 必要あるの?

毎晩 毎晩
目に見えない恐怖の使者達が

私に迫り来る

その使者に ついていこうかと
思う瞬間はいつも タバコの香りが漂っているんだ

現世にサヨナラ
来世にコンニチワ

過去には・・・ 過去には・・・


毎晩、この時間帯は、孤独を感じる。

まったく使わない携帯を見ていると、涙が出そうになるくらい。

この孤独感とは、いつまで付き合うのだろう。
今日、里から帰ってきた。

あっちでは、たくさん学んだことがある。

人との付き合い方。
話し方。
日本語の難しさ。
親族の大切さ。
思いやり。
人情。
人脈。
人間。

そして、「この世に自分の生きた足跡を残すため、それまでは生きる」という信念を持てたことも。

死んだ親父と昔釣りなんかをしたとこに行って、昔の自分と今の自分の「変化」なんかも比べた。

約1週間の里帰りだったが、精神が落ち込むこともあり、死ぬかと思った。
実際、今でも「生きてる」って実感はないんだけど(笑)

でも、「信念」を明確にできたのは、大きな収穫だった。


こっちに帰ろうと準備していたときに、俺の幼少時代の写真が偶然出てきた。


そこには、満面の笑みを浮かべている俺がいた。
まだ、世間も何も知らず、純粋に、楽しみを感じている自分が。

「あんたが笑うことが少なくなったの、高校入ってからだよね」

母親がそう言った。

もし、あの写真の俺が本当の俺なら・・・。

どうなんだろうな・・よくわかんないわ(笑)


できるなら、笑って生きていたいのかもしれない。
でも、それだけじゃダメだということを知ってしまっている。

いつか、心から笑える日がくるのだろうか。


で、今はたび重なる環境の変化に対応していくのが困難だが、なんとかするしかない。
思考回路が現実とのギャップに追いついていけてないが、なんとかするしかない。

だから、生きるしかない。


明日から病院通い・仕事・音楽の日々がまた始まる。

実家の扉を開く瞬間、「ここからが再スタートだ」と自分に言い聞かせ、地道に、ゆっくり、やっていこうと思った。

____________________


なんか、バンドの「ロゴ」ができた。
素敵で、不思議なロゴ。
白と黒の。

俺が作ったんじゃないんだけどね。
メンバーがなんかすんごいやる気みたい(笑)

おいおい・・・こんなに順調でいいのかよ!?的な(笑)

まぁ、なんとかやっていこう。
ここ2・3日、日記なんか書ける状態じゃなかった。

恐怖心。
孤独感。
嫌悪感。
劣等感。
疎外感。
将来観。
目標。

それら全てが津波のように押し寄せてきて、俺はただその流れに飲み込まれることしかできなかった。

自分が一体何者なのか。
俺は、何のために存在しているのか。
「自己価値」というものが、「自分像」というものが、まったく見えていなかった。

しかし、どんなに苦しくても、人と接する。
これを余儀なくされた2・3日だった。

まず最初は、音楽の話。

母校の後輩に誘われて、ジャムセッションをした。
その後輩は、やたら俺を「神」のように尊敬してくれるんだが(笑)、そのときは、自分の存在を肯定された気分だった。

俺、そんなにすげぇ人じゃねぇって!(笑)

ジャムりながら、Key=E一発でどこまでジャムれるか。
マンネリになったときの対策法。
基本的な音作りなんかを教えた。
まだ自分も勉強段階だけどね。

物事を「教えている」ときって、自分に言い聞かせている気分になるから、とても不思議だ。
自分にとっても、ためになるというか。

先生にもあいさつした。

「Jackが元気そうでなによりだよ!!」

そう言われたとき、申し訳ない気持ちと、悔しさを、必死に抑えた。

そして、その後輩との別れ際に言われた。

「あの・・・写真とってもらえますか?

「え?誰の?お前の?」

「いえ、Jackさんと俺の写真がほしいんです」


ええぇぇぇぇぇ、どこまで俺は「スター扱い」なんだっての!(笑)

その母校の帰り道、とても不思議な絵が描いている壁を見た。
そこは「壁画アート」としても有名な場所。

たくさんの小部屋があって、その部屋で、人が戯れている絵。
ほとんどがその「人と戯れている部屋の絵」だったのだが、「誰もいない部屋」があった。

なんだか、俺の世界を絵にしたようなものだった。

芸術って、不思議だ。

そのあとは、自分のバンドのスタジオ入り。
立つことも、喋ることにも、生きることにも「嫌悪感」を感じながらのスタジオ入り。

当然、メンバーの前では明るく振舞う。
自分の魂を削りながらでも、今の状態を必死に隠した。

全て自分の作曲したものだからといって、俺の思い通りに仕上がることってのは少ない。
あくまで「バンド」。
人と意見を交換し合って、その曲を新しく進化させるためにやる。

この考えに対して今までは否定的だったが・・・・。

今やっているバンドは、ヤバい。
俺の世界観を、広げてくれて、より「エモーショナル」に。
より「精神世界」を表現するための体制が、全て整っていっている。

曲を合わせていた際に思っていた。

「あぁ・・・いい曲だな・・・」

なんか、「客観的」に自分のバンドや曲を見ている感じ。
あまりに感情的になりすぎて、鳥肌が立ち、うっすら涙さえ浮かんだ。

俺達は、少し確信していた。
「このバンドは、突発した存在のバンドになる」と。

売れないだろうが、それでもいい。

俺の感情を、ギターに、詞に、曲に乗せて、人々に伝えていきたい。
絶対、共感してくれる人はいると、俺は確信している。

なぜなら、人々は全員「裏の感情」を、毎日必死に隠して生きているのだから。

本心なんて、誰にも見せられないしね。
それが、恋人だろうと、家族だろうと。

それに、本心と、心から対話できるのも「自分」しかいない。
それを他人に求めるってのが、そもそもの間違いなんだ。

最近、俺の本心を話せる人がいる。
その人は、自己の意見を言おうとはせず、「うん、うん、そうだね」と、共感を示してくれる人。

ただ、話を聞いてもらうだけでも、非常に気持ち的に安らぐ。

そうすることによって、「俺」という人物像を、人に伝えてるわけだから。


今書いている日記の内容もイマイチ自分で把握できていないが・・・。
「現在、未来の自分像」を思い浮かべることさえできれば、きっと、今の状態から少しは脱出できる気がする。

それさえできれば・・・。

______________________


髪切った。
ほとんどの人、気ずかなかった。
他人にとって、自分の存在を1番感じなくなる瞬間。

自分の存在価値って、なんだ?

信念

2006年6月29日 精神的なこと
自分が「ボーダー」(境界例、または、境界性人格障害とも言う。負の感情と、喜の情の挟間に生きていて、それらを自分の力では制御できない人達)だということを、資料を調べているうちにわかった。

自分の精神を制御できなくて、周りの人を傷つけてしまう、罪深き症状。


今日、仕事先の上司に「辞めたい」ということを話した。

そこで、すごく励まされた。
なんでだろう。
たかが、バイト1人のために。
店長さえも、励ましてくれた。

俺の精神状態のことを、勇気を振り絞って話してみた。
もし話したら、職場のみんなに俺が「うつ病」だということがバレてしまうということも覚悟して。

なんと、上司は俺の精神状態を配慮して、できる限り余裕を持たせてくれるように、仕事時間を少し変えてくれた。

嬉しい気持ちもある。
「オイ、がんばれよな!」って・・・「それは精神が病んでる人には言っちゃいけない言葉だぜ!」なんてことも途中思ったが(笑)

しかし、周りの人から「うつ病の人は気持ち悪い」と思われないか、不安でもある。

最終的には、「人が足りない」という理由に至るんだろうが、
いろいろ話をしている内に、俺は、少し勇気と希望。
そして、根性を分けてもらえた気がした。

あの言葉が「仕事上の都合」でも構わない。
それでも、俺は励まされた。

「心に1つ芯を持って、自分の考えを曲げなければいい。信念を持っていれば、周りに何言われようが、それでいい」

この言葉をもらった瞬間、俺はあることを思い出した。


信念。


今から約2ヶ月前に、仕事の時間を増やしたときに、決めていたことがあった。

「独りで生きていける勇気と根性を身に付ける」

そして、

「全てをやれる限り尽くしてみる」

「生き抜く」

俺は、精神的な要素として、「音楽」と、何か1つ足りないものがある気がしていた。
その答えが、今日の出来事でやっとわかった気がする。


俺は、今まで何のために生きていたんだろう。

音楽をやるため?
何のための長髪?
何で仕事を増やした?
何で自分を追い詰めていた?
金がほしいため?
寂しくて、人恋しい?
励ましてくれる人がほしい?
人を憎むため?
人を鼓舞したいため?

すぐにその答えが出そうでないのはわかるが、
「信念」。

俺に今足りない要素は、これだと確信した。

俺の「信念」とは、一体どのようなものなのだろう。
このことに気がつくために、どれだけの人を傷つけてきただろうか。

その人達に対しての申し訳ない気持ちと、感謝の気持ち。
これを俺は忘れないでいようと思う。

母親とも、深く話し合いをした。

俺のためにうつ病について勉強してくれているということを知った。

母親が過去にうつ病だったということも話してくれた。
2人とも精神的にはネガティブなんだということも。

そこで俺は、「一体どれだけ人を傷つければ気が済むのだろう」と、自問自答した。

応援してくれている人がいる。
励ましてくれている人がいる。
それに、俺は今気がついた。

もうその人達は離れていってしまったが、ここで一言いわなければいけないことがある。



ありがとう。
今になって、あのときの言葉達がフラッシュバックしてきたんだ。


もう連絡もとることもできないが、心に刻んでおこうと思った。



過去に持っていたはずの「信念」。
それは、自分を追い詰めることによって、日々の忙しさによって、消えうせてしまっていたのかもしれない。

俺の「信念」。
それは、一体何なのだろう。
今日、仕事先で上司と友人で、「将来」について話をした。

「お前、これからどうすんだ?本当に音楽でやってくつもりか?」

「そうですよ。後悔しないレベルまでやってみます。」

「その後はどうすんだ?30歳前になって職探しか?年下に頭下げれるのか?」

「あ〜・・・ダメだったときのことはあんまり考えてません。」


俺は、音楽で飯を食っていけないことを、薄々感じている。

でも、今俺がやりたいのは音楽だ。

実は、音楽以外にも興味を持ってることがある。
「ウエスタンショップの店員」と「心理系の医者」だ。

「誰かに必要とされたい」
この思いが人一倍強いのか、はたまた「他人に影響を与えたい」のかわからないが・・・。

「ウエスタンショップの店員」は、楽天的な、誰もが思う「カッコイイ将来の自分像」を実現させるためのものだ。

「心理系の医者」は、俺が抱えてるような苦しみを持っている人を、救いたいからだ。

でも両者には共通するものがある。


「自己表現の出す場所がない」ということだ。

俺は感情表現が下手なので、どこかで爆発(発散)させないと、ムリだ。
それを、「形」として残せる、俺が選んだ手段が「音楽」。


食っていけない。
先は真っ暗。
将来は不安定。

でも、俺は、今は音楽をやりたいんだ。
どうしても、音楽がやりたい。

しかし、なにか1つ、「音楽」とは別のものが俺には欠落している気がする。

余白がある。

この余白を埋めるのが「精神学」なのかどうかはわからないが、人間の行動や考えを思考するのは好きだ。

これを、俺は音楽と結びつけようとしているのだろうか。

「音楽療法」?
いや・・・それじゃ、自己表現ができない。



空白を埋めるもの。
それは、何なんだろう。
人々の笑い声。
口喧嘩。
雑談。
笑顔。
笑顔。
笑顔。
笑顔。
優越感。
そして、劣等感。
劣等感。
劣等感。

これら他人の感情は、常に私を「追い込む側」の敵として、存在する。

独りでなければいけない。

幸せになってはいけない。

順調な人生は送れない。

人とは、深くやり取りしてはいけない。

人の表面的な感情は聞き流さなければいけない。

他人の感情や内面に干渉してはいけない。

独りを感じていなければいけない。
いや、孤独を常に感じてしまう。

仲のいい友人といるときも、大勢の人と楽しく会話しているときでさえも、常に独りを感じる。

激しい「疎外感」とは、もう21年来の仲だ。

人は、人とのコミュニケーションの中で、何を感じ、何を得、そして何を欲するのだろうか。
結局は、なにがしたいのか。
なにがほしいのか。

わかっている。

「疎外感」を感じたくないからだ。

「寂しがり屋」の自分を、認めたくない。
だから、疎外感を排除する。

人間学の自然な摂理。
ごく、自然なこと。

馴れ合い?

俺には馴れ合いにしか感じられない。

人とコミュニケーションして、何を得るのか。
それだけじゃないのかと思う瞬間がある。

彼らから何を学び、何を得るか。
ただそれだけ。

人に対して深い感情を持ってしまったら、いけないんじゃないかという考え。
これは、間違いでもなく、正解でもない。

実際、そうやって生きてる人もいるだろうから。
今の俺がそうだけど。


人は、人。
俺は俺。

人々と話をしているとき、「奴ら」が湧き出る。
他人が俺の内側に入ってくると、拒否反応が襲う。

「死」
「劣等感」
「疎外感」
「欝」
「人間不信」
「排除しろ」
「他人だろ」
「こっちに来るな」

これらの感情が、常に俺の中に潜んでいて、「いつでもお前を飲み込んでやる」とでも言わんばかりに、己が外に出る隙をうかがっている。

薬は、それらを都合よく抑え込む。
薬は、悩みの根本からの解決の手助けにはなっていない。

ただ、飲めば、楽になれる。

完全なる「薬中毒」みたいだ。


俺は一体どうしたいんだ?
俺の感情はどれだ?
俺はどこにいる?

もう、いい加減、俺はどうしたらいいんだ。

助けてくれ。

でも、俺には触れるな。

こういったことがあるから、俺はずっと助からないでいるんだろうな。

とにかく今は・・・・





人間が憎い。

遠くのアイツに一言。

お前、そんなんじゃ人に恨まれるだけだぞ。

もっと「自分がされたらイヤなこと」や「相手の立場になってものを考える」ってことを勉強しろよ。

くだらねぇ人格だよ。

もう一回人生やり直して来い。
クソッタレが。

Shit mother fxxker’s people!!!!!!!

演技

2006年5月30日 精神的なこと
薬の摂取量はお守りください。
薬の摂取量はお守りください。
薬の摂取量はお守りください。
薬の摂取量はお守りください。
薬の摂取量はお守りください。


必死に演技するのも、お控えください。

副作用→多重人格・人間不信・破壊願望・支離滅裂・天真爛漫
薬のおかげで、すげぇ気分が楽で、楽観的だ。

「ムリヤリ」悩みは不安感を押さえつけられてる感もあるが、これは快適快適。

これ、マリ○ァナじゃねぇよな!?(笑)

でも、俺お得意の「論理的思考」がまったくできないんだけどね。
だって、「考え事」ができないんだから。
「マイナス面」の思考ができない。

今の俺は、世界一穏やかな人間だろうな(笑)
人は、誰だって最初は子供だった。
純粋無垢。

いつからだろう。

人とのしがらみを気にするようになったのは。
人の感情の裏側まで知ってしまうようになったのは。

仕事先で、俺のガキの頃にそっくりな子供を見た。

なんの疑いもない真っすぐな瞳で見つめられたが、俺は目を数秒も合わせることができなかった。

今の俺の目には、その子の目が痛々しく感じられた。

昔の俺は、どんなガキだったんだろう。
いつも無邪気に走った。
好奇心旺盛だった。
いつも笑っていた。

高校時代に言われた言葉。
「お前、いつも笑顔で気持ち悪いよ」。

少しでも友達を増やそうと、嫌われないようにしようとしていた結果がこれ。

この言葉を言われて以来、本当に面白いとき以外は、顔に表情を作らないように決めた。
そして…

「Jackって黙ってると怖いよ。怒ってるように見える。」


俺がどんなことをしても、人はそれを指摘する。
人の弱点を見つけては、自分の立場を立てようとする。

それ以来、俺は人の「長所」をできるだけ見ていこうと決めた。
俺はほめられたことがない。
誰も、俺の長所を見てくれてない気がする。

いつからだろう。


人の「短所」を見てしまうようになったのは。
そして、それを「否定」しないようになったのは。



もう「いい人」でいるのなんか止めだ。
これからは、「演技」なしで生きていけるように、「世渡り下手」で生きていく。

それが、本当の俺だ。
俺の仕事先に、中学時代の友人がいる。

彼も俺と同じ「女性恐怖症」の1人だ。
彼が、深刻そうな表情で、語った。

「ずいぶん前にここで一緒に働いてる娘を好きになったんだけど、その娘が俺のことを陰で「キモい」って言ってたのを聞いてしまったんだ」

陰口。
それは、人間の本当に醜い部分を見てしまう瞬間。

彼は何も悪いことはしていない。
なのに、なぜ?

俺も、街を歩いてるときに言われる。

「あの格好ありえなくない!?キモい!」

俺が現代では理解されない格好をしているっていうこともあるが、彼らは他人の人間性を批判できるだけの立場にいるのだろうか。
批判できるだけの苦労はしてきたのだろうか。

その友人は、陰口を言われてからというもの、「女の子と話すのが怖い」と言う。
ちょっと前まで彼女いたのに(笑)

なぜ、人間は人の弱点や欠点を見て、それを人と共有したがるのだろうか。

俺は被害妄想が強い。
「嫌われてるんじゃないだろうか」

こういうことを「保険」としているのかもしれない。
そしたら、本当に嫌われたときに「心の傷」が浅くなるからだ。

学生時代のテストの点数と同じだ。
「どうせ点数低いだろうな」と思っておけば、低くてもさほどショックは受けない。
もし思っていたより高かったのなら、喜びは倍になる。

保険をかけるか、そうでないか。
それだけで随分と変わるもんだ。

俺はなぜ、女性恐怖症になってしまったんだろう。

原因はわかっている。
「いつか嫌われるんだ。だったら最初から近づかなければいいんだ」と思ったのが最初。
それが悪化したんだろう。

怖い。
「人の感情」を見てしまうのが、それに触れてしまうのが怖い。
「人にどう思われてるのか」という感情が人一倍強いからだろう。

誰かに言われた。

「そういう人は一生独身でいることが多い」

俺はこのまま一生、女性恐怖症のままでいるのだろうか。

いつか陰口を言われるんだ。
だから、人には自分から近づかないほうがいいのかもしれない。
「平等」という言葉は、何のためにあるんだろう。
そもそも、「平等」とはどういう意味や、どういうためにある言葉なんだろう。

「神は全ての人間に平等にモノを与えた」なんてことを言った人がいる。

嘘だ。

もし本当なら、みんな顔や瞳の色や、性格までも同じはずだ。

何のために「個人」がいるのか。

人は、生まれながらにして「罪」を背負っているんじゃないだろうか。

もしかしたら前世でひどいことをしてきたから、今その「しっぺ返し」が回ってきたのかもしれない。

何のために、人は生きる?
自分は、なぜ生まれてきた?

「生きていても意味なんてない」なんて言葉を人はよく口にするが、それは、その人が「自分の意志」や「自分の在り方」などと向き合うことから逃げているだけなんじゃないだろうか。

自分と向き合うためには、それなりの「覚悟」が必要だ。
リスクはある。

しかし、そのリスクは何のために生み出されるのかまでは、たぶんみんな考えないんじゃないだろうか。

今、自分は何ができるか。
今、やらなければいけないことや、考えなければいけないことは何なのか。

そして、今「やめられること」は何なのか(ムダなことはするなという意)。

それらを考え抜いてから、「生きたくない」と言うのなら、それは俺は否定できない。

ただ、何もやらずに、全力を尽くさずに何もかも決めつけてしまうのはいかがなものか。

全力でやってみて「私は何をやってもダメだ」と思うのなら、「じゃあ、何ならできるのか」ということも考えてみてはどうだろうか。

「逆境から見えてくるもの」を、しっかり掴むんだ。

こう思うだけでも、「自分は、確かに今を生きている」と実感できるんじゃないだろうか。

私達には「未来」も「過去」も存在しない。
今見なければいけないのは、たった今、時計の針が動いたこの瞬間だけだ。
渦に飲み込まれないように生きなければ。

彼らは俺の世界には存在させてはいけない。
そして、彼らの世界にも、俺は存在していないだろう。

街外れにある薄汚れた、存在を忘れられたゴミ箱のような存在に、徐々に俺はなりつつある。

自分のゴミは自分で処理してくれ。

もう、俺は君達の関係者じゃない。


__________________________

朝は、俺にとって辛い瞬間だ。

寝起きが悪いのもあるが、「魔の時間帯」がやってくるからだ。


AM 8:30
「原因不明の腹痛」


「…腹痛いから、今日は休む…」

学生時代、何度この言葉を口にしただろうか。


「あぁ、また今日が始まる…。
学校が怖い。
みんなの輪に入れないのが辛い。
イジメが辛い。」

朝のあの時間帯はこんなことばかり思っていたせいか、「仮病癖」がついてしまった。

それが、最近再発してしまった。

負けるな。
逃げるな。
ここで逃げたら、いつもの俺となんら変わらないじゃないか。

辛い。
逃げ出したい。

寝たいのに、眠れない。
頼むから寝させてくれ。
明日も朝早いんだから。


頼むから、もう出ていってくれよ。

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索