とある場所の 物置場
2006年9月23日 欝とある場所がある。
そこには、誰も存在してなどいなく、まったくもって「無」を感じさせてくれる場所である。
その場所とは、「己だけが見つめられていられる、自己による、自己のための精神世界」である。
その場所には、誰も踏み込んでこれないのだ。
正確に言えば、「踏み込めない」のだ。
なぜかといえば、自分以外は皆「人間であって、人間ではない」からだ。
僕はいつも思う。
なぜこんなにも人からの疎外感を感じ、馴染めていないのかと。
自分だけ、違う。
そう、自分だけ「何か」が他人とは少し、「少し」違うのだ。
あたかも、この世の住人ではないかのような、「空虚感」。
なぜ、誰も僕を理解してくれないのだろうと、毎日、毎秒、思い詰める。
私の考えや精神性は、誰にも理解されることはないのだ。
そう。
誰にも。
最近の僕の口癖は「…何かいいことないかな」
である。
アルコールが入ると、決まって僕は「躁」か「欝」のどちらかの精神状態に陥る。
大勢の前では「躁」。
独りの場合は「欝」。
これはもう、決まりきっていることなのだ。
この、今独りでいる瞬間さえ、寂しく、切ない瞬間はない。
だって、誰も理解者などいないのだから。
僕は、独りきりである。
「助けて、助けて」
いつも、僕の脳裏に過る言霊。
しかし、助けなどこない。
そう。
僕は「独り」なのだから。
そこには、誰も存在してなどいなく、まったくもって「無」を感じさせてくれる場所である。
その場所とは、「己だけが見つめられていられる、自己による、自己のための精神世界」である。
その場所には、誰も踏み込んでこれないのだ。
正確に言えば、「踏み込めない」のだ。
なぜかといえば、自分以外は皆「人間であって、人間ではない」からだ。
僕はいつも思う。
なぜこんなにも人からの疎外感を感じ、馴染めていないのかと。
自分だけ、違う。
そう、自分だけ「何か」が他人とは少し、「少し」違うのだ。
あたかも、この世の住人ではないかのような、「空虚感」。
なぜ、誰も僕を理解してくれないのだろうと、毎日、毎秒、思い詰める。
私の考えや精神性は、誰にも理解されることはないのだ。
そう。
誰にも。
最近の僕の口癖は「…何かいいことないかな」
である。
アルコールが入ると、決まって僕は「躁」か「欝」のどちらかの精神状態に陥る。
大勢の前では「躁」。
独りの場合は「欝」。
これはもう、決まりきっていることなのだ。
この、今独りでいる瞬間さえ、寂しく、切ない瞬間はない。
だって、誰も理解者などいないのだから。
僕は、独りきりである。
「助けて、助けて」
いつも、僕の脳裏に過る言霊。
しかし、助けなどこない。
そう。
僕は「独り」なのだから。
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