南カルフォルニアの砦 2
2006年11月3日ユキと別れた理由は僕の記憶の底でぼんやりしている。
原因は一体なんだったのだろうか。
いや、原因はハッキリしている。僕が「音楽」をやっていたからだ。
ギターを手にしてからというもの、様々な犠牲を余儀なくされた。
友人関係や恋愛関係。それに、将来の進路のこと。
僕は孤独だった。周りにはB.B.キングやパンテラ、ガンズ&ローゼズなんかの洋楽を知っている人間はゼロに等しいくらいだった。
いや、間違いない。B.B.キングを知っている人間など一人もいなかった。
僕は昔からイジメられっこ体質で、周りになじめず、常に孤独を感じていた。
幼少期に感じていた疎外感は、今でも肌に滲むように身体にこびり付いて落ちようとはしない。
それらは、真なる暗黒の待ち構える井戸の底に、今も眠り続けている。
だが、それらを抑えきれることもない瞬間がある。
そういうときの対処法・・・それは、第1に、「人と接触しないこと」である。
「気分屋」と俗に言われているが、そうでもしないと自己コントロールができないのだ。
高校時代は恋愛時代。
今この齢になってからわかったことだ。
そこには今のように悩み苦しみ、あてがある果てしなく彷徨い続ける孤独感とは戦わずに済んだ。
数こそ少ないが、ラブレターなどももらったことがある。
バレンタインデー。ブルーの紙に、綺麗に結ばれたラッピングされたピンクのリボンに包まれた箱には、綺麗なクッキーとチョコレートが入っていた。
そこに、手紙も入っていた。
その時期がおそらく僕の人生の中で1番モテていた時期だろうなと思う。
その手紙とチョコをくれた娘とも、僕は付き合おうとしなかった。
「今はギターに集中してたい時期だから」などと断ったが、今となってはダサカッコいいセリフで懐かしい。
ユキとは僕が高校卒業前あたりで、また付き合い始めた。
付き合い始めの場面やセリフも記憶が定かではない。
それは、本当に自然な成り行きだったのだ。
春になれば桜が咲くように、ごく当たり前のことだった。
ユキは、僕の住んでいるところから電車で約2時間の場所に住んでいた。
詳しく言えば、僕が神奈川県に住んでいて、彼女が埼玉に住んでいるといことだ。
人は「遠距離は続かない」と言うが、そんなものは俗説である。
実際に、僕とユキとの関係は、今も含め4年も続いているのだから。
僕は音楽の専門学校に入学することになった。
理論や楽典を学ぶためじゃなく、ただ純粋に「バンドメンバー」を探し求めて。
専門学校の活動が主になってくると、高校時代の友人とも連絡はしなくなってきた。
もちろん、遊びなどには誘われることはなかった。
専門学校の学生達はみんな基本的にはいい奴らばかりだった。
しかし、どこにいっても僕が感じることは何1つとしてかわらなかった。
ハテシナイ疎外感
ハテシナイ嫌悪感
ハテシナイ劣等感
そして、ハテシナイ オワリノナイ孤独感。
僕の居場所が、なくなった。
原因は一体なんだったのだろうか。
いや、原因はハッキリしている。僕が「音楽」をやっていたからだ。
ギターを手にしてからというもの、様々な犠牲を余儀なくされた。
友人関係や恋愛関係。それに、将来の進路のこと。
僕は孤独だった。周りにはB.B.キングやパンテラ、ガンズ&ローゼズなんかの洋楽を知っている人間はゼロに等しいくらいだった。
いや、間違いない。B.B.キングを知っている人間など一人もいなかった。
僕は昔からイジメられっこ体質で、周りになじめず、常に孤独を感じていた。
幼少期に感じていた疎外感は、今でも肌に滲むように身体にこびり付いて落ちようとはしない。
それらは、真なる暗黒の待ち構える井戸の底に、今も眠り続けている。
だが、それらを抑えきれることもない瞬間がある。
そういうときの対処法・・・それは、第1に、「人と接触しないこと」である。
「気分屋」と俗に言われているが、そうでもしないと自己コントロールができないのだ。
高校時代は恋愛時代。
今この齢になってからわかったことだ。
そこには今のように悩み苦しみ、あてがある果てしなく彷徨い続ける孤独感とは戦わずに済んだ。
数こそ少ないが、ラブレターなどももらったことがある。
バレンタインデー。ブルーの紙に、綺麗に結ばれたラッピングされたピンクのリボンに包まれた箱には、綺麗なクッキーとチョコレートが入っていた。
そこに、手紙も入っていた。
その時期がおそらく僕の人生の中で1番モテていた時期だろうなと思う。
その手紙とチョコをくれた娘とも、僕は付き合おうとしなかった。
「今はギターに集中してたい時期だから」などと断ったが、今となってはダサカッコいいセリフで懐かしい。
ユキとは僕が高校卒業前あたりで、また付き合い始めた。
付き合い始めの場面やセリフも記憶が定かではない。
それは、本当に自然な成り行きだったのだ。
春になれば桜が咲くように、ごく当たり前のことだった。
ユキは、僕の住んでいるところから電車で約2時間の場所に住んでいた。
詳しく言えば、僕が神奈川県に住んでいて、彼女が埼玉に住んでいるといことだ。
人は「遠距離は続かない」と言うが、そんなものは俗説である。
実際に、僕とユキとの関係は、今も含め4年も続いているのだから。
僕は音楽の専門学校に入学することになった。
理論や楽典を学ぶためじゃなく、ただ純粋に「バンドメンバー」を探し求めて。
専門学校の活動が主になってくると、高校時代の友人とも連絡はしなくなってきた。
もちろん、遊びなどには誘われることはなかった。
専門学校の学生達はみんな基本的にはいい奴らばかりだった。
しかし、どこにいっても僕が感じることは何1つとしてかわらなかった。
ハテシナイ疎外感
ハテシナイ嫌悪感
ハテシナイ劣等感
そして、ハテシナイ オワリノナイ孤独感。
僕の居場所が、なくなった。
コメント